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 鈴木三吉商店


2005.03.25


『山田スタンダード』
彼は、今や押しも押されぬイタリア料理界の巨星であり、ちょっとしたグルマンの中では知らぬ者も居ない程のグラン・シェフだ。
そんな親友の料理人には、定番のメニュー(ひと皿)がある。
彼の店に一回でも足を運んだと云う者ならば必ず口にしている定番中の定番「冷たいトマトのカペリーニ」。

極上の高知産堀田のトマトを使い、その甘味と酸味を冷たい細いパスタに絡めて。器は勿論、パスタ用のフォークまで冷たさ(時に凍ってる時もある)を徹底し、心配りとプレゼンテーションで我々を楽しませる。レストランと云えども、エンターテイメントを忘れない、リストランテ・ヒロのスペシャリテである。
先日、「久々でしょ??どう??」と出されたのを一口(ホントに一口で終わりの量)‥。美味い、文句無しに美味い。
言ってしまえば、彼の料理人生のスタンダード的なひと皿。それは実に説得力のある大切なひと皿でもあると思う。
自分に置き換えてみる。ああ‥、あの曲なのかなぁ…。まだ半信半疑だけれど、そんな気がする‥。

 

 


冷たいトマトのカペリーニ。何度食べても美味い物は美味い。納得の一皿。


2005.03.14


『行着く先は、○味』
今や何と、年に三度も青森県津軽地方「五所川原」に出掛けて行くようになった。 雪がまだまだ降り止まぬ3月には友人のライヴ・ハウスで行われる誕生日爆笑LIVEに。立ねぷたによる見事な祭り見物の夏の五所川原。そして、晩秋の色濃い11月のまたまた友人企画によるコンサート。
季節季節で違った顔と魅力を見せてくれる五所川原の町に、いつも変わらぬ佇まいと味わいを感じさせてくれる一軒の中華そばの店「ラーメン・まるみ」がある。
上質な魚出汁の醤油味のあっさりラーメン。余分な味は何も無い。スッキリとして優しい味に昔を思い出す。“極まった味の向こう側を知りたい‥”と何度思った事か・・。その度に親父さんの顔を盗み見る。たけれど、気負いの無いその立ち振るまいに、そんな思いはどうでも良くなってしまう。こだわりはあるだろう・・しかし気負いは要らないよ。そんな風に背中が教えてくれる。
ラーメン・まるみの親父さんがLIVEに来た事は無い。けれども僕
は、その背中を思い浮かべながら歌う。『行着く先は、まぁるい○味』なのかな・・。

 

 




ラーメン・まるみ。細麺中華そば。


2005.02.28


はてさて?『大人のポップ』とは??少年の心を忘れない…、夢を見続ける事を忘れない…。何処かで聞いた事のあるフレーズ。80年代を駆け抜けたポップ・グループの面々が事あるごとに(雑誌のインタビュー記事など)言っていたのを想い出す。
そんな彼らも既に40代半ばである。ランボルギーニ・ミウラ/S。
スーパー・カー世代を象徴する、少年時代からの憧れの車である。スタイリングは、マルチェロ・ガンニーニであったのか?はたまたジョルジェット・ジウジアーロなのか?未だに論争尽きる事がない。
いずれにしても「かっこいい」ではないか。そして、車にも人柄は乗り移り、すり込まれていく。
スーパーな車の代表格と言って過言ないこのミウラ。あの独特な挑発的な危険な香りが一切しない。穏やかで優しさに満ちている。
オーナーは僕の親友である。彼は人を粗末にしない。心がすり減りそうな程のハードな毎日を過ごしているのに、彼はとても人間味に溢れている。そして、心は少年のままで ある。

 



少年の心を忘れない。
『大人のポップ』の上級者の為に‥。


2005.02.03


『福は内ぃ、福は家ぃ!!』
2月3日節分。節を分ける・・と云う事で、実は大晦日的な意味もあると言う。厄よけ祈願。それも節分のこの日が終わるまでに行って来た方が良いとされる。
さて、話しは変わるが、我々が子供の頃には子供の時間、子供の世界があった。その一方では、大人の時間、大人の世界もハッキリとあった。例えば、料理屋なんかには僕等子供は滅多な事では連れてってもらえなかったものだ。そこには、しっかりと大人と子供の区分けがあった。
「自分の器量で自分で行くもの」と云う、暗黙の掟が定められていた。その代わり大人達は年に何度かの“子供の楽しみ”を演出してくれた。
節分の豆撒き・・、大切な厄よけでもあるけれど、僕等子供にしてみれば楽しい行事だった。
夕方には、母親が手拭いを二つ折りにして、両脇をササッと縫い合わせて袋を作ってくれた。晩ご飯ももどかしく寒空の町に飛び出して行く僕等。近所の家では、時間差で豆撒きをする段取りが組まれていた。各家庭を巡りながら袋がどんどんお菓子でいっぱいになる。そして、隣の家にまた駆け込む。
時代が良かったのかなぁ・・、楽しく懐かしい想い出だ・・・。

 



その日は、学校でも情報交換をし、
作戦を練った。


2005.01.31


『三ノ輪の魔法使い』
サツマイモ・・。蒸かし芋、焼き芋、干し芋、洋風のスゥィート・ポテト・・・。世の御夫人方も大変に好物な物だと世間一般も承知する。
が、しかし、実は個人的にも僕も大好物。サツマイモ=薩摩の芋、ひるがお科の多年草、根の部分は、でんぷんに富み食用である。と物の本の説明。なんて、いちいち説明されなくたっても誰もが知ってる「サツマイモ」である。別名、甘薯、甘諸(かんしょ)と呼ばれる、なぁんて事は??知らなかったでしょ。
その誰もが知ってる「サツマイモ」に見事な魔法をかけてしまう三ノ輪のお婆ちゃんの事は?ご存じ??『和田いも店』の福福しきお婆ちゃん。元々は、古くからの芋問屋だった店。店の中を覗いて見た。
ぼんやりと滲むような灯りの下に古くから使われた鉄釜、その脇には土の付いたサツマイモが山積みになっている。「営ってるのかなぁ・・?」、居る居る・・お婆ちゃんが猫のように背中を丸めてコタツの中にうずくまってる。
「スミマセェェン。大学いも300グラム下さい」。ピカピカに輝く大学いも。我慢出来ずに道端で包みを開けて口に放り込む。「何これ!?」、あまりにも旨いので引き返して「美味いねぇぇ・・」って、婆ちゃんに告げる。何も言わずに、ニコッと微笑み返しのお婆ちゃん。
これは、まやかしや魔法じゃ無い。正真正銘の大学いもだ。

 



和田いも店。世界一の大学いも。


2005.01.11


『お干菓子』
まだ幼かった頃に、おやつに食べさせられていた物のひとつに「お干
菓子」があった。
それは、ほのかに甘く、線香の匂いがついていた。要するに、いつも仏壇のお供物だったわけだ。時には、饅頭。ある時には、甘食。しかし、大概の時には、お干菓子だった。今思えば、大して美味しいと言えない物であったけれど、当時としてはなかなかの物だったのかもしれない。
さて、北陸の小京都である金沢。何と、360年もの歴史を誇る「長生殿本舗」がある。家伝の精粉(餅米粉)と、極上なる四国産の純和三盆糖に本紅で彩りを加えたシンプルな干菓子。昔と何ひとつ変わらない姿形。変えようにも、変える必要も無い程に無駄と云うものが一切無い。口の中で甘味がほどける様に広がる。“こんなに美味しかったかなぁ…??”線香の匂いが染み付いて無いからだろうか?いや、流石に日本三名菓の呼び名に恥じない美味しさだ。しかも、このシンプルな甘味はコーヒーにも良く合う。

 



金沢伝統の干菓子。長生殿。


2004.12.24


『京都・寺町通』
京都・三条から四条の河原町通、その一本西側は新京極。
「京極」と云う名がしめす様に戦国時代までは、この通りは京の都の極(果て)だった。更にもう一本、西側が「寺町通」だ。戦乱が絶え、京の都が大きくなって行く時、沢山の寺院がこの通りの東側に集められた。だから、「寺町通」。御所の傍から北へ上ルにつれ、かなり多くの寺院が残り、個人的にも一番京都を実感させられる通りの一本である。
さて、寺町三条の創業明治六年の西洋御料理・牛肉販売所「三島亭」を目印に北へ上ル。尚学堂を過ぎ二条をこえた右側に目指す洋菓子店がある。大正の頃の落ち着いた佇まいの建物は、タイル貼り三階建。看板は『村上開新堂菓舗』と、たったこれだけ。好事福廬という季節限定の蜜柑のゼリーが人気。ただ、僕には、このロシア・ケーキがたまらない。何とも懐かしく、昔大変にお世話になった寺町通の宇野のお婆ちゃんを想い出させる。口に入れた後からジンワリと涙が滲んでくる…。

 



京都・寺町の『村上開新堂』の
ロシアン・ケーキ。


2004.12.10


『ネッロ・マンジャーレ』
帯広名物豚丼。帯広駅に降り立った時から決めていた。
名物は豚だ、豚丼を食べなければ何の為の帯広なのか?それほどに、来る前から頭の中は、豚一食??一色だった。
駅からしばらく車を走らせる。郊外の街に一軒の店が目に止まった。美味しそうな佇まいだ。店名は「鶴橋」。お昼時を過ぎたギリギリの時間だったので、せわしなく店に駆け込みとにかく注文を済ませた。
「あれれ、豚丼特有の香りと言うよりも洋食の店みたいな匂いがするな」そんな事を思わせる独特な匂いにこの店は包まれている。
高まる期待を押え切れずに待つ事しばし、うやうやしく運ばれて来たドンブリにびっくり!!まっ黒!!ふたつのグリーンピースが一層鮮やかに浮かび上がる様子に声を失う。
「旨いなぁぁ、この香ばしさは他にないな」。ラードが焦げたような香ばしさに似てるけれど、もう少し複雑な香りが口いっぱいにまとわり付く。聞けば、地元でも個性派の豚丼だ、との事。なるほど‥、これ は病みつきになりそうだ。

 



帯広、鶴橋の黒い食べ物。名物豚丼。


2004.12.02


『ザ・ニッポン的・クリスマス』
子供時代を掛川の片田舎で過ごした僕の想い出のひとつにクリスマス・ケーキがある。実家の近所に一軒だけあった和菓子の店、紅葉軒。
クリスマスの直前だけ店先にクリスマス・ケーキが飾られ、予約を受け付けた。バター・クリームのデコレーション・ケーキだ。年に一度だけの即席な洋菓子屋さんの出現である。それでも、僕らは学校帰りの道すがらショー・ケースのクリスマス・ケーキを覗き込み、心踊らせていたものだった。
さて、先日事、渋谷の百貨店の地下食料店街を歩いて“ふっ”と気になる物があった。普段は何の変哲もないパッケージで販売されてるカツサンド。お箸で簡単に切れる柔らかさ‥が宣伝文句の『まい泉』のカツサンド。「何だか、いつもと様子がちがうなぁ」なんて近くに寄って見た。クリスマス仕様のパーケッジが何ともうれしい。中身自体は同じだけれども、何とも心憎い演出である。

 



今の時期だけの限定仕様の
『まい泉』カツサンド


2004.11.12


懐かしの味『支那そば』
僕らが小さかった頃、チャルメラの音が遠くからこだまするように聞こえ、それが徐々に近づいて来るのをワクワクとした気持で待っていたも
のだった。屋台の支那そば‥、今でも屋台のラーメンを見かけると立ち寄ってみたくなる。
チヤルメラの音が家の前に来たぞッ!。どんぶりを持って外に飛び出す。夜の暗がりにボンヤリと赤ちょうちんとハダカ電球の灯りが湯気とともに滲んでいる。子供の頃の屋台ラーメンには、家からどんぶりを持って行くのが定番だった。なんともノスタルジックで懐かしい。
さて、環七沿いの古いお蕎麦屋さん「やぶ重」。昭和38年から商いを続けている老夫婦の作る中華そば。ひとすくい目から時間が逆行する。
蕎麦つゆを使ったスープは、鰹の風味と若干の味醂の甘味がある。
美味いッ!!しかも、たったの五百円。
極上のタイム・マシーンに乗れてこの値段。

 



『やぶ重』の中華そば

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